1978-10-17 第85回国会 参議院 文教委員会 第2号
確かに従来の宗教史を見てまいりますと、暗い歴史もあり、また国家権力と結びついて、いろんな宗教の消長の歴史を見るわけでありますけれども、特に、日本の場合は多神教国家でございますので、どの宗教がいいというようなことは、公教育の場合には避けるべきが当然であります。
確かに従来の宗教史を見てまいりますと、暗い歴史もあり、また国家権力と結びついて、いろんな宗教の消長の歴史を見るわけでありますけれども、特に、日本の場合は多神教国家でございますので、どの宗教がいいというようなことは、公教育の場合には避けるべきが当然であります。
島原の乱のときも、生きている者が二人とか三人とか、あとは全部三百何人殺された、そういう宗教史がありますがね。近ごろテレビ放送で夜行われている「必殺仕置人」とかああいうところに出てくる拷問と変わりないものね。よろしくない。はっと言って、征伐しなければならぬ、そういうことはね。しかし、いまはそういうことはありませんね。自由民主党の内閣も自由な、いい政治をやっているんじゃないですか。
そうして、それが現在は八合目以上を神体山として考えられておる、初めは全体のものであつたが、今は八合目になつておるのだというような発展的な考え方を述べられたのですが、そこで、私は、やはりこういう面で御研鑽の深い先生方にお伺いしたいのですが、そういうものも宗教史的にはたくさんにあるのではないかと思います。
ただいまお見えになつておられる参考人は、教育大学教授和歌森太郎君、民族史・宗教史の先生でございます。早稲田大学教授有倉遼吉君、行政法の先生です。東京大学教授石井良助君、法制史の先生でございます。なお、本日参考人として御意見を承る予定でありました田上穣治君は、都合により出席できぬとのことでありますから、御了承願います。
次に大学における一般教育及び専門教育の科目は、大学の基準に基き、その大学の目的、使途に応じて編成されるのでありまして、宗教及び宗教史をその科目に加えることは、大学の教育内容を豊富ならしめる点において適切であると考えられるのであります。 —————————————
二、教育大学、学芸大学、教養学部の後期課程に宗教学、宗教史を加えること。三、大学前期の教養学課日中に宗教学、宗教史を加えること等であります。
○政府委員(稻田清助君) 御承知のようにこの人文系統の課程を置いておりまする大学においては、一般の宗教学或いは比較宗教史というものを設けておるわけでございます。勿論国立大学におきましては、或る特定の宗教を中心といたしましての課程はないわけでございます。
これは絶對に對する強い信念がなければ、世界的なこの生存競争の激しい中に立つて、平和という一大目標を貫くことはできないということを申し上げましたので、從つて今後の教員養成機關であるべき學校の内容には、哲學なり、倫理なり、あるいは宗教史なりさような深いものを取入れて、それが教育者たる人格の根本に根強いものを與えるようなごくふうがないかと申しました。
そういう意味で、そういう確信をもつた人々の人格から出る影響力が、きわめて大きいということも、當然に期待されていいし、また宗教學とか、宗教史とかいうことよりは、宗教を語らないで、その人の人柄から出る影響心、ほんとうに子供によい感化を與えていくので、子供の教育の重點はその點にもある。このいわゆる語らざる教育ということにも、十分に考慮すべきものがあると存じております。
○柏原委員 先ほどの松原さんの、教育者が宗教哲學とか、あるいは宗教史のようなものを教育養成機關の學科の中に入れたらどうかという具體的な話に對しまして、大臣は深みのある、信念のある指導者を作る方面に大いに努方しようというお話を伺つたのでありますが、その意味の内容は、そういう師範教育の中に、宗教史とかあるいは宗教情操に關係したような學科を入れることに努力なさるのですか、それともただ深い人格者をつくる方面
宗教史もそれぞれの宗教の歴史として取扱われておると思います。宗教心理學は心理學の應用的な一部門として、そういう題目の下に取扱われておると存じております。宗教社會学も社會學の一部門としてそういうふうに取扱われておると存じております。但しこれらの學門をどの程度に十分にこなして、そうして若し將來できます講座を充たすことができるかどうかについては、まだ研究いたしておりません。
○梅津錦一君 重ねて申上げますが、先程の第一案であるところの宗教教育を取上げるとするならば、宗教概論若しくは宗教史、或いは宗教心理學、それから宗教社會學、こういうものを分類されたところの科學が文部當局において現在學的な措置と體系ができておるか、文部省の扱う體系としてそうしたものができておるかおらないか、文部省の用意の程をお聽きしたいと思います。
○梅津錦一君 先程一、二、三の設置についてのお話があつたのでありますが、宗教概論と宗教史と宗教心理學と宗教社會學、こういうものが科學として區分されたものが、文部當局において現在用意されておるかおらないかということを、文部當局の日高局長にお伺いしたいのですが、いかがですか。
そこで先ず科目としましては、無論これは十分に文部省の當路者なり、學校の當路者の意見でやるべきであることは言うまでもありませんが、試みにどういう形のものを入れるか、こういう問題になれば、私は宗教概論、その次に宗教史、これは宗教制度史、それから文化及び宗教の思想史、そういうものを内容とした宗教史です、これはいわゆる日本、西洋を問わず全體として入るべきであろうかと思います。
内容としては岩本委員のお話になつたのは、宗教學概論、宗教史といつたものの中に今梅原委員の言われたような内容を嵌め込んだらどうかというお話であります。
大體におきまして宗教を一つの人間の、人文史上の動き方としまして、やはり宗教史というようなものが十分に取り上げらるべきであります。それから人間の生活の上における宗教の立場を示すというような點になりますれば、宗教哲學というような立場も見なくちやならん、それからそういう宗教の現れ方の科學的な考察としましては、宗教學というものをやらなくちやならん。
それらによつて見ましても、今梅原氏が説明せられ、該博なる識見と、あらゆる文獻を網羅しての熱心なる御主張、而して到達せられたる結論に對しては、私敬意を表するものでありますと共に、私みづから、是非本請願が初めに申上げました如くに採擇せられまして、そうして教育者を養成する學校教育において、或いは宗教學概論、或いは宗教史、或いは美術その他音樂等の宗教文化史というような、それらのものを中心として、而も宗教的に
それからわざわざ私はさつき宗教概論或いは宗教史、宗教文化史というようなものを中心として一切の學科も一切の制度も一切の法というものも、期する所は、その人自身の人物如何によるのであるから、その人事に當つてはよく學生生徒諸君が信頼を寄せるが如き學者、人格者を選んで教員養成の學校の宗教學科乃至は講座擔當の責任者に當てることを私はさつき主張したのでありまして、單に生活と全く二元的に切り離されておる單なる知的傳達
けれども併しそれは宗教史とか、宗教文化史とか、そういうような研究をしては、到底眞實の宗教情操の教育はできないのであります。これは梅原先生がここにおられますけれども、知識としての宗教情操教育は理の當然であります。それならば本當の意味の宗教教育はどうしたらよいかというと、現實に生ける宗教から出發しなければならない。これは當然一宗一派關係を持つものであります。